チェンマイの歴史
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(一)王となるべく生まれてきた者
仏暦13世紀(西暦7世紀から8世紀にかけて。日本でいうと奈良時代)にタイムトリップしてみよう。ピン河、コック河、コン河(メコン河)が流れる平和な平地では、ラワ族とタイ族の二つの民族があちこちに散らばって暮らしていた。これらの民族はそれぞれの民族
の間でお互いに連絡を取 り合い、しだいに連合し てヨーノックチェンセー ン国が建てられた。この
国がカンボジアに侵略さ れ、滅んでしまった後、 現在のチェンライのドイ トゥンに住んでいた長老、
ラーオジョックが山から 降り、黄金の国ンガーン ヤーン国を建てた。この国が現在のチェンセーンになったと考えられる。この国はこの地域の統治の中心となり、ラージョック長老の一族、ラワジャカラートはメコン河沿いのチェントゥンやチェンルンのあたりを治めた。およそ500年の間、ラワジャカラートの一族はまわりの村や町を併合し、領土を拡大していった。
仏暦1782年年(西暦1239年)、ラワジャカラート家第24代ラーオメン王の息子が産まれた。この男の子は同じ年頃の子供たちと比べて聡明で叡智あふれており、王の息子に相応しい美しい顔立ちをしていた。しかし20年後、この子がこの3つの河の集まる地域を手中におさめ、現在まで語り継がれる大国を建国することになるとは誰がを想像しただろうか。この子の名はメンラーイという・・・・。
(二)王の闘い
- 戦略とスパイ
西暦1261年、メンラーイは22歳でラワジャカラート家第25代王になった。王となって約1年で、メンラーイはコック河の岸辺に新しい国を建てた。彼はこの街をチェンラーイと名付け、統治の中心地とした。近くの村や町を統合して国を大きくしていったが、次第にチェンラーイは周辺の権力の中心とするには防衛の面などであまり適さないことがわかってきた。
そこで1274年、ファーン(現 在のチャイヤプラガーン 郡)に新しい国を建てた。 そうするうちに、メン
ラーイ王はピン河の近く にあるハリブンチャイ王 国の繁栄ぶりを耳にし、 興味を持った。しかし、
プラヤーイーバー(イー バー王)が率いるハリブ ンチャイ王国は天然の要 塞を持ち、兵力も豊富で、簡単に攻め落とせそうに
なかった。そこで配下の 一人、クンファーをスパ イとして送り込むことに した。クンファーをハリブンチャイ王国の一市民として送り込むために、メンラーイ王はクンファーが罪を犯したとして刑罰を加え、ファーンを追い出し、ハリブンチャイへ向かわせた。クンファーはメンラーイから受けた刑罰のことをプラヤーイーバーに話した。王は彼に同情し、また彼の聡明さを見て配下にすることにした。クンファーはハリブンチャイ王国に忠誠を尽くす市民として、王国の防衛を担う兵として、そしてスパイとして7年を過ごした。
そしてとうとう、ハリブンチャイ王国の内部事情をメンラーイ王に報告する時が来た。クンファーの巧妙な技によって弱くなっていたハリブンチャイ王国の防衛力では、メンラーイ王の軍隊の攻撃は防ぎきれなかった。ハリブンチャイを攻め落とすのに時間はそうかからなかった。プラヤーイーバーは捕まる直前に国を逃げ出し、一族のいるケーラーンナコン(現在のランパーン)へ向かった。逃走の途中にある山を越える際、王国の方角を振り返ったが、そこはただ炎と煙が上がるだけだった。彼は間違った人物に心を許したことを後悔して、悔し涙を流した。この山は、ドーイバーハイ(イーバーが泣いた山)と呼ばれている。
こうして1292年、ピン河近くで勢力を誇った大国は滅びた。死体が転がる廃墟では、メンラーイ王の勝利の笑い声が響いた。
(三)帝国建国のための拠点
メンラーイ王には3人の息子がいた。名前を、クルアン、クラーム、そしてクルアという。メンラーイがファーンに国をつくった時、長男のクルアンにチェンラーイ国の監督を任せた。しかし、クルアンは父親の王位を奪おうとしたので、メンラーイは息子を殺さなくてはならなかった。この後、メンラーイは次男のクラームにチェンラーイの監督を任せた。メンラーイはファーン国の次に、現在のプラーオ郡にあたる場所にプラーオ国をつくった。この国の建設が済む前にメンラーイはハリブンチャイ王国への攻撃を始めたので、ハリブンチャイ王国陥落に成功した後、クルアにファーン国の建国の続きを任せた。
その頃、国を追われたハリブンチャイ最後の王、イーバーはケーラーン国(現在のランパーン)の息子と共に、ハリブンチャイ奪回の計画をたてていた。これを事前に知ったメンラーイは、次男クラームにケーラーン国を攻めさせ、占領に成功した。メンラーイは満足だった。 メンラーイはクラームに、パヤーチャイソンクラームという名前を与え、チェンダーオに新しい国をつくって与えた。三男のクルアはプラーオ国の建国を終えた後、義姉、つまりパヤーチャイソンクラームの妻と戦いを始めた。メンラーイはこれを知り、クルアをナーイテーン国(現在のどこにあたるかよくわからない)に追いやった。
メンラーイ王はハリブンチャイ国で3年を過ごした後、ピン河のほとりに新しい国をつくり始めた。この国をウィアンクムカーム(クムカーム国)という。
しかし、ウィアンクムカームは洪水の問題に悩まされる。雨季になるとピン河の水が堤防を破り街中を水浸しにし、人々が逃げまどう。メンラーイ王はまた新しい国をつくることを考え始めた。
今度つくる国は、これまでの国より大きな国にしたいと考えた王は、スコータイ王国のラームカムヘン王と親類であるプーガームヤーオ国のンガムムアン王に、次なる新しい国を建てる場所について相談をもちかけた・・・。
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