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ワット・チェディルアンの歴史

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チェンマイの有名寺院はいくつもありますが、誰もがこの大きな仏塔には圧倒されるのではないでしょうか。ワット・チェディルアンの仏塔は、古代のものとしては、タイ最大と言われています。この仏塔の他にも、チェンマイの町の柱、サオ・インタキンが境内に置かれています。有名だけれども、案外このお寺のことを知らないんじゃないか、そんなこんなでワット・チェディルアンに行って来ました。

(Vol.21 2004年5月号より )

ワット・チェディルアンの歴史

ワット・チェディルアンの、かつての名前はワット・チョティガーラムとかワット・ラーチャグダーカーンという。メンライ王朝時代の、セーンムアンマ王の時代(1385〜1401)の間に建てられたが、はっきりとした年などはわかっていない。現在、寺院の敷地である部分は、かつてはいくつかの部分に分かれていた。これらの分かれていた部分を統合したのは、第9代チェンマイ統治者のゲーオナワラットがバンコクから招いた高僧。彼は、1928年から1931年にかけて、寺院を統合して、ワット・チェディルアン(大きな仏塔の寺)とした。その結果、多くの僧侶が集まり、建物の修復などもされ、1938年からは、「聖なる寺」という意味の「ウォラウィハーン」をつけて、ワット・チェディルアン・ウォラウィハーンと呼ばれるようになった。

お坊さんと話そう
学校で勉強中のお坊さんと、英語、日本語などで自由に話しができます。お坊さんに聞いてみたいことなどがあったら、訪ねてみましょう。授業時間中や、休み期間中はお話できませんので注意。5月中ほどまでは夏休みだそうです。女性でも遠慮なくどうぞ、とのことですが、服装やふるまいには気をつけて失礼のないようにしてください。なお、女性がお坊さんに触れることは禁止されています。

プラタート・チェディルアン
 見上げるほど大きな、崩れかけた仏塔は見る者を圧倒させる迫力がある。
この仏塔が建てられ始めたのは、1391年のこと。セーンムアンマ王が父王のために建て始めたが、完成を見ずに亡くなってしまう。その後は、王の妻が建立の指揮を引き継ぎ、1412年に完成している。当時の仏塔の高さは78メートルだったと言われている。その後、1481年にティロッカラート王が修復を行い、80メートル(一説には96メートル)の高さになった。仏塔の彫刻などは、ランナー、スリランカ、ミャンマーのパガンの様式がミックスされたものであった。当時、仏塔は4km四方からその姿を望むことができたと言われている。
 しかし、1545年に地震(または台風)が起こり、仏塔は崩れてしまい、40メートルの高さになってしまった。その後仏塔は修復されなかったが、長い間、チェンマイで一番高い建造物であった。
 なお、1468年から1548年までの79年間、現在はバンコクにあるエメラルド仏が、この仏塔の東側の祠に安置されていたこともある。現在は同じ場所に、ヒスイの仏像チャルムシリラート仏(90キログラム、高さ109cm)が納められている。
 1990年、政府は芸術省に3500万バーツの予算をおろし、日本なども援助をして仏塔の修復を行い、1992年に修復が完成した。修復完成後、現在の大きさは基盤の大きさが56m×56m、一番高い部分が42mとなっている。ナーガや象、上部の祠に納められている仏像や彫刻も修復されたが、当時の様式を再現できたとは言い難く、中部タイの様式に近いものになってしまっているようだ。唯一、北側の部分に昔のままの彫刻、古いままのナーガ像などが残っており当時の姿が偲ばれる。
 夕方からはライトアップされ、夜空にぼんやり浮かび上がる様は荘厳。

ソンナーム
仏塔に水をかけて幸運を祈ります。仏塔の北と南側には、いつでも水をかけることのできるリフト(?)が設置されています。いつでも誰でもどうぞ。なお、東側にある、ナーガの形をしたものは、儀式の時の特別用だそうです。

サイヤート仏
チェディ西側にある、涅槃仏。チェディと同じくらい古い歴史をもつが、1993年に修復されている。

ウィハーンルアン
 入り口正面の、一番大きな礼拝堂。内部の納められている立仏像アッタラーサ仏(高さ8.23m)と左右の仏像は、1412年に仏塔が完成したときに、すでにあったと言う。礼拝堂は、何度も修復立替えが行われ、現在のものは1900年代にチェンマイ統治者ゲーオナワラットが修復したもの。現在は更なる修復のために予算がおりるのを待っているのだとか(なんと5年間も)。礼拝堂入り口のナーガは、北タイで最も美しい姿をしていると言われている。
金のチャダー
チャダーとは、高い先頭をもつ冠のこと。境内南側の学校を建設中に、地面から掘り出された。その大きさから、かつてここに安置されていたエメラルド仏のものではないかとされているが、詳細は不明。一般公開はされていない。
ハーカッジャーイ仏
布袋様のようなふくよかな仏様。知識の仏様であるが、実は子宝を授かりたい人にも効き目があるとか。
トンネル
仏塔の上に出ることのできるトンネルが内部に掘られています。現在は立ち入りなどはできません。

チャルムシリラート仏

サオ・インタキン
町を守ってくれる守護神ともいえる柱。大きなヤーンの木とヤック(鬼)に守られて立っている。毎年、5月から6月の一週間、このサオ・インタキンを崇拝するお祭りが行われ、多くのチェンマイ市民が訪れる。このお祭りの期間は、普段は閉じられている堂の入り口が開けられるが、残念ながら女性はこの時も入ることはできない。
柱は、上には仏像が納められているが、大切な柱はこの下の、高さ1.35m、周り5.67mの部分。上の仏像は後に寄贈されたものである。なお、今年のインタキン祭りは、5月15日から21日まで。

このサオ・インタキンには伝説がある。
チェンマイの町ができる以前、この辺りの土地はラワ族という先住民が町を築いていた。いくつかの町があったが、一番大きな町、ウィアンノッブリーを築くときに、仙人がインドラという神に相談し、町の守護神となる柱をもらった。インドラ神はこの町に、町の者全員がこの柱を崇拝し、世話をしたら何人も町には攻めてくることができない、という力を持つ柱を与えることに決め、二頭のヤック(鬼)に柱を運ばせた。インドラ神にちなんで、この柱はインタキンと呼ばれるようになり、人々はこの柱を崇拝した。
後に、メンライ王がこの地にやって来て、チェンマイの町をつくったとき、ラワ族の教えに従ってこの柱を引き継いだ。しかし、新しい町の人々は徐々にインタキンを崇拝ることを怠りはじめたので、ヤックはインタキンをインドラ神のもとに持って帰ってしまった。チェンマイができてからもインタキンの世話を行っていた、ラワ族の青年がこのことを知り、嘆き悲しみ恐れ、ついにはインタキンのあった場所に座り込んで祈りをはじめた。これを見たある仙人が、インドラ神に柱を町に返して欲しいと頼んだ。インドラ神は熱心さに負けて柱を返すことにしたが、ヤックは町におりることを拒んだので、仕方なく、町の者にインタキンと同じものを自分たちでつくるようにと仙人に伝えた。その際に、柱の門番であるヤックの像もつくるよう言い、今度こそ柱への崇拝を忘れないようにと言い含めた。仙人は町の者たちにこの言葉を伝え、言われたように柱とヤックの像をつくり、納めた。その後から現在にいたるまで、人々は崇拝を怠らず柱を祭っているのである。

サオ・インタキンは、もともとは別の場所にあったが、1800年に、カヴィラ王がワット・チェディルアンの敷地内に移し、同時にヤックの像、ヤーンの木も植えた。

ヤーンの木
カヴィラ王によって植えられたもので、現在、境内には3本の木がある。サオ・インタキンの横にあるものが一番大きく、高さは40m以上と言われている。この木は、枯れたり切られたりしない限り、チェンマイの町を守る力があると言われている。

 


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