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Khun Yuam

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クンユアム

一年に一度、ドーグブアトンの花の咲く時期には多くの人が訪れますが、それ以外は本当に静かな山間の町。一番の見所は、戦争記念博物館。日本人ならば訪れてください。向かいのワット・ムアイトーにも第二次大戦時の兵士のための慰霊碑があります。町には宿泊施設もあるので、ゆっくりとこの小さな町を歩き回るのもいいのではないでしょうか。
チェンマイから車で約6時間、メーホーソーンから約1時間半。

ドーグブアトンの花畑
 メーホーンソーン県クンユアム郡には、毎年11月から12月にかけて、ドーグブアトーンというコスモスを大きくしたような黄色い花が一面に咲く山があります。この花は背丈が2メートルほどにもなるので、車道の脇に植わっていると、まるで花のトンネルを抜けていくようです。絵の具を溶かしたような青い空に緑の木、黄色い花。ほんとうにすがすがしい眺めです。涼しい気候を好み、雨を嫌うこの花は、冬場の気候にぴったりなのです。
 もともとは、イギリスがミャンマーに持ち込んだものがメーホーンソーンに伝わったということなので、歴史はそう長いわけではありません。カレン族の人たちは、根を煎じて薬にして用いているそうです。最近ではメーホーンソーンの名物として定着しつつあるこの花を使って、手漉き紙や虫除け薬をつくる試みもされているようです。
 毎年11月第一土曜日にお祭りが開かれるクンユアム郡の山の花畑が一番有名ですが、チェンマイからの南回りルート沿いにも、クンユアムにはかなわないものの、いくつかこの花の咲く丘があります。村全体が黄色く色づき、その中で日常生活を営んでいる様子は、クンユアムの山より美しいのかもしれません。
 クンユアムの山の上では一人から二人用のバンガローがあり、テントを持参すればキャンプも可能です。バンガローは一泊50バーツくらい。キャンプは20バーツほど。山は冷えますので、セーターや毛布をお忘れなく。

 

 メーホーンソーン県クンユアム郡は第二次世界大戦後、日本軍がビルマにはいるための拠点基地でした。日本軍はチェンマイからパーイ、メーホーンソーン、クンユアム、そしてビルマへと続く道を建設し、ビルマからインドへと攻めるインパール作戦に備えたのです。しかし、皮肉にもこのルートはインパール作戦の失敗による日本兵の敗走ルートとして用いられることになります。この際にも、クンユアムにはタイ側の最初の大きな町として病院などが置かれ、多くの日本兵がここを通過しました。ここで亡くなった兵士も多かったのです。しかしこの出来事は終戦後、小さな田舎町の出来事として町の人たちと生き残った日本兵の心の中に仕舞われたままとまります。
 1996年、クンユアム郡に戦争記念博物館ができました。発起人は、当時のクンユアム郡警察署長、チューチャイ・チョムタワット氏。現在は退職されてチェンマイのサラピー郡に住んでおられます。チューチャイ氏は今もタイにおける日本兵の足跡を追って調査をされ、博物館の充実に尽力されています。そのチューチャイさんにお話をお伺いしました。


クンユアム郡の警察署長として赴任したのが1995年、博物館を設立したのが1996年だということですが、その経緯を教えていただけますか?
− 私が赴任のあいさつに各家を訪れると、どの家にもタイのものではない水筒や飯盒などがあったのです。聞いてみると、それは昔クンユアムに来ていた日本兵の置いていったものだというのです。私はタイにおける日本軍のことについてはほとんど知りませんでしたが、その物の価値はよくわかりました。人々のなかには、価値もわからずに古物商にこれらのものを売り払う人もいました。このままではいけないと思い、それらの収集を始めたのです。物の価値はわかっても、日本軍が本当にここにいたのかについては、実は半信半疑だったのですよ。でも、クンユアムのワット・ムアイトーに慰霊に来られた日本人男性に会って、本当に来ていたのだなと確信し、調査や勉強を始めたのです。1996年になって、クンユアム郡長と相談して、収集したものを展示する場として博物館を建てました。でも、当初は展示できるものはほとんどありませんでした。

調査はどのように行ったのですか。
− まず、近隣の人に呼びかけて日本兵に関する品物の提供をお願いしました。無料で提供してくれた人もいましたし、私が買い取ったものもありました。そんな人たちから、森の中にはいろんなものが当時のままに残されてると聞かされ、山の中にも行きました。確かに、橋や壕、道標が残されていました。ミャンマーとの国境付近にはトラックが残されていたので、ミャンマー兵の力も借りてクンユアムまで持ってきたりもしましたよ。ミャンマー側には、まだまだたくさんのものが残されているのではないか、と思っています。もったいないですね。行って調べてみたい。
 また、当時のことを覚えている人たちから聞き取り調査も行いました。なかには、日本人と結婚して子供をもうけた女性もいましたし(この方はクンユアムにて健在です)、日本人でありながら亡くなるまで身元を隠し続けた人もいました。彼が亡くなったときは、タイの新聞もたくさん取材に来ましたよ。

そして、博物館完成が2000年なのですね。
− その年に私が移動になったので、ひとまずこれで区切ろうと思っただけです。定年退職した現在も、まだまだ調査を続けていますよ。先日も、メーソットに住んでいる、元日本兵の方に会ってきたばかりです。博物館の展示も、説明文が日本語のみだったりタイ語のみだったりして、十分ではありません。現在管理をお願いしているジョリヤさんへのお給料も十分ではありませんし。多くの元日本兵や有志の方が博物館を助けてくれましたが、やはり博物館の維持発展は容易ではありません。個人の力だけではなく、基金を設立するなどして、発展させていかないといけないでしょうね。

日本の人たちに言いたいことはありますか?
− 私は、クンユアムに日本軍が来ていたという事実を証明したくてこの調査を始めました。しかし、名前が記された品物を見たり、遺骨が掘り出されるのを見たりしているうちに、日本の遺族の代理としてこの作業をしているという気分になってきました。ぜひ多くの日本人にこの博物館を見ていただきたい。日本軍は、アジアの国々で残虐な行為をしてきたことが強調されています。それは、恐らく事実でしょうが、少なくともここではそんなことはなかった。クンユアムの人たちは日本の兵隊さんが好きでした。そのことを今の日本の人たちに知って欲しいと思っています。

ジョリヤ ウパラさんクンユアム戦争記念博物館
8:30〜16:30(12:00〜13:00休み)
毎日
Tel:053-622165
入場料 10バーツ
管理人 ジョリヤ・ウパラ
 ジョリヤさんは戦争当時10歳だったということで、当時のことをよく覚えていらっしゃいます。日本兵は象の扱いが上手であった、などという当時のお話を聞くのもとても興味深いものです。

 

 夕暮れ、ワットムアイトーの前で、聞きなれない言葉を話しながらかたまっている男性が数人。どこの山の人だろう、と思いながら通り過ぎ、ふと振り返ると、だーれもいない・・・。
 これは研修でこの町に滞在していたことのある学生の体験。これって、日本の兵隊さんなのでしょうか?

 写真提供:チューチャイ・チョムタワット

 第二次大戦中の撮影。写真の男性たちは日本の兵隊。物々交換で手に入れたバナナを食べようとしているところ。
かつてタイ国内にいたこの兵士たちは、他の地域で行ったような悪行は行わなかった。食料を手に入れようと思うなら、住民に食料の提供を強制することもできたのに、自らの物品と交換して食料を手に入れるのが常であった。
 地元の人たちの思い出の中で日本兵とは、やって来てここで休憩し、そして行ってしまったお客さんのようなものなのだろうか。
 日本兵に関する古い写真は、クンユアムの戦争記念博物館に多数展示されている。

メーサムレープ
パーイ

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